関係の中心にあるべきもの。

これから、と一緒に「聖書が教える結婚講座」を使って
お互いの関係について考える時間を持っていくことにしました。

聖書が教える結婚講座聖書が教える結婚講座
(2005/12/01)
ジョシュア・ハリス原田 治子

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この本の11章に、婚約前にしておくべき10の問いっていうのがあって、
それを1日1つずつ、一緒に読んで考えていくことにしたんだ。
遠距離だから電話でだけど、きのう1つめをやったんだ。
初めと終わりに祈って一緒に考えて、すごい良い時間になった。
それぞれが、神様を中心として自分たちの関係を見直す時間。いいね。


1つ目の問いは、
ふたりの関係では、神と、神に栄光を帰す事が中心になっているのか
だった。

これ読んだとき、「あったりまえじゃーん」って正直思ったんだけど、
具体的に1つ1つ照らされていくと、やっぱまだまだだなって思いました。

 ふたりともイエス・キリストを、それぞれの心の主としているのか。
 幸せな結婚の土台は、ふたりが主を愛し主に従う信仰を共有していることだ。
 あなたは神の言葉に従っているのか。

JESUSが心の主。たしかに、それは認めてる。そう思う。
でも、そうできてるかって問われたら、ちょっと自信ないかも。
神の言葉よりも、自分の思いに従うこともあるし、
神様の言葉を聞く時間自体をもってなかったり。
JESUSが心の主であると認めるなら、それなりの行動をとるべきだよね。
うーん。従い不足かも。

 ふたりとも魂の満たしを神から得ようと力を尽くしているだろうか。
 もしもそうでないのなら、あなたは結婚が自分たちを満たし完成するというまちがった期待をもって結婚生活に入っていくことになる。
 あなたはキリストのみが満たすことのできる役割を相手に求めることによって、伴侶に非現実的要求を突きつけ、重荷を負わせるようになる。

これは…痛かったっす。うちは相手に求めてるなぁって思った。
まず、「魂の満たし」ってなんだろう?って話になってさ、
喜びとか平安とか励ましとか慰め…そういうものが
「満たし」の要素になるんじゃないかって話になったんだ。

うん。よく光に求めちゃってる。うち。
そういうものがJESUSから来るって知ってはいるんだけど、
あえて光に求めちゃう。しかも光も与えてくれるんだ。
それに依存してたっていうか、甘えすぎてたなって思った。

光は愛があって、確かにJESUSっぽい人だけど、JESUSじゃないんだよね。
JESUSに求めるべきものを光に求めて、
結局JESUSに頼らないって…間違ってる。
光に与えられるもので満たされ続けようとしても、
うちはすぐ乾いちゃうんだ。
それは光の愛が足りないからじゃなくて、
限りなく大きな愛をもって満たし続けてくれる方に
満たしを求めてないから。

そりゃー重荷負わせちゃうわ。
光の愛情表現や光との時間、結婚生活がうちを満たすんじゃないんだ。
光から与えられないと満たされないんじゃなくて、
神様との関係によって内側からいつも満たされて
それを光との関係に流していかないとね。


やっぱ、まずは神様との関係だね。
1人1人が神様を愛し、従うこと。
その中で満たされて、愛を流していく。
そのためにはもっと神様との時間とらなきゃ。
もっと神様のこと考えなきゃ。
そのことがふたりの関係をより良い、祝福されたものへと変えるなら
喜んでそのことをしていきたいな。

結婚はゴールじゃなくてスタートだもんね。
スタートのための土台作り。
しっかりやってこ。
素晴らしい神の子と結婚するにふさわしい自分になりたいもん。

神様が中心。自分じゃなくて。自分の思いじゃなくて。
自分たちが満たされることじゃなくて、神様を中心にすることで
神様に栄光を帰すことが中心。

とりあえず具体的にね、JESUSに負ってもらうべきものを
相手に無駄に負わせないように、
神様に焦点を合わせて自分たちを整えるために
お互い電話する前に祈ることにしたよ。
癖で祈らずに電話始めちゃったりするけど…

これからの問いも楽しみ♪
この問いに取り組むことを通して、
1人1人が成長し、さらに神様を愛する事ができますように。


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帰ってきたおともだち。

そういえば最近ね、すっごい嬉しい事があったんだ。
うちが札幌に来てからできた大事な友達がさ、
教会に通い始めたの。

その子、小学校6年間ずっと教会学校に行っててね、
中学入ってから部活とかで忙しくて行かなくなったんだって。
「部活」って、教会学校のおともだちが
教会に来なくなる理由TOP3に入ると思うさ。笑
で、そのまま中学・高校と遊びまくり…
大学に入ったらそこで出会った友達がクリスチャン!?
そしてその子を通して出会った友達もクリスチャン!?(←うち)
うちらと関わりを持っていろいろ語り合ったりするうちに、
だんだん「また教会に行こうかな」って思い始めてたみたい。

うちノンクリスチャンといる時
クリスチャンの価値観で話す事に抵抗あったんだけど、
その子と話す時はクリスチャンと話すのと同じように
クリスチャンってか聖書の価値観で話せててさ、
すごい不思議だったんだよね。
で、その子も一切否定することなく受け取ってくれて。
むしろスムーズに受け取りすぎて拍子抜けしたくらい。笑

なんか、その子の中には「神様はいる」っていう
変わらない確信があるのかなぁって思った。
ノンクリの友達と話す時、よく感じるのは
「言ってることはわからなくはないし、
それが本当だったら素敵だけど
でも彩はクリスチャンだからそう考えるんであって、
私はその神様がわかんないから」
っていう態度。
なんて言うんだろ、「その神様私の神様じゃないし」っていうか。
んーうまく伝わらないかなぁ。。
や、単純にその神様がいるってこと自体を信じてるかどうかってことなのかな。
そこを疑う姿勢が、その子には初めから感じられなかったんだよね。
6年間教会学校行ってて、それなりにいろいろ聞いてただろうし。
祈り方も教わったって言ってた。

考えたんだけど、たぶんその子が離れたとき、
教会はすごい痛みを感じて、その子の為に祈ってたと思うんだ。
うちも今関わってるユースの子の為に祈るしさ。
もし離れたらすごい悲しんで、戻ってくるように、
神様から完全に離れてしまわないように、
もしこの教会に戻らないとしても、いつの日か何かのきっかけで
また神様に繋がれるように、そのための出会いが与えられるように
とか…本気で祈ると思う。
実際にそう祈ってる子もいる。
うちの友達が行ってた教会学校の先生達も、
そうやってその子の為に祈ってたんじゃないかなぁって思った。

そして大学に入ってうちらと出会って、
今度はうちらが、その子がまた教会につながるように、
神様との関係を回復できるようにって祈るようになったんだ。
そして神様はお互いに好意を与え、会って話す機会を与え、
必要な時に心を開かせ、うちらとの交わりを通して
もう一度神様自身の存在と愛をその子に伝えてくれたんだと思う。

そうやって祈ってきた子が、再び教会に通う決断をしました。
うちらが通う教会に、最近通ってます。
(たぶん)祈られてた教会学校のおともだちが、帰ってきましたよ。
前の教会の人たちが蒔いた種を、刈り取る喜びをもらってます。
一緒の空間で礼拝を捧げられることが嬉しい。

これからも祈らなきゃ!
繋がり続けるように。神様の愛を本気で受け取れるように。
神様を愛して、従うことができるように。

いやぁーーーーー
嬉しいなぁーーーーーーーー♪♪


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生かされてる。

またまたしばらくぶりっす。

札幌では1日から一斉バーゲンが始まりまして。
毎年すーごい気合い入れてるうちとしてはすごい血が騒ぐ時期と言うか。笑
でも今年は少し自粛することにしたの!例年よりは・・・

きのうね、4プラ(ってゆーファッションビル)で
2000円のお買い物券の配布があったんだよね。
毎年もらってるうち、今年ももらいに行きました。
((や、自粛はするけどこういうのはもらっときます。笑))
9時の配布に向けて8時半から並ぼうとして行ったらすでに長蛇の列!
さすが。バーゲンにかける女の子の情熱はすごいね。
一緒に並ばされてる明らかにだるそうな彼氏さんや旦那さんらしき男性もちらほら。

で、うちも最後尾に行こうとしたら…

うちの目の前をダッシュしていた母娘がいたんだけど、
信号変わる間際に焦って進入してきた車とその娘(小学生くらい)が接触!!
飛ばされるほどの衝撃ではなかったみたいっていぅか、
運転手も直前で気付いて急ブレーキ踏んだみたいで。
でも地面に倒れた女の子はお母さんに支えられて呆然と座ってました。
幸い女の子は歩けるみたいだったし大事には至らなくてよかったけど。

券もらうのに並んでた行列の横で起きた事故だったから一時は騒然でした。
ちょうど警備の人とか近くにいたから事故の対応とか
警察への連絡も手際よく進められてた。
うちは人ごみの中にいてもう現場があまり見えなくなってたんだけど、
気付いたら母娘はいなくなっていて、車の人が静かに警察を待っていました。

そんな事があってさ・・・
30分くらい並んでたからその間にいろいろ考えてたんだけどね、
なんか自分って本当、ただ生かされてるんだなぁって。

だってね、たぶんその母娘、うちと同じ地下鉄降りて、
うちより少し急いでただけなんだ。
うちがもう少しテンション高くて少し早く走ってたら、
事故ったのはうちだったかもしれない。
運転手があと2秒くらい女の子に気付くのが遅かったら、
ブレーキも間に合わず死亡事故になってたかもしれない。
逆に、運転手があと30秒でも家を出るのが遅かったら、
その信号を無理に進もうと思わなかったかも。
その母娘がもう1本早い、もしくは遅い地下鉄に乗ってたら…
そんなことを考えてたらさ、日常のいろんなこと、
特に事故って秒単位のタイミングで繋がってるんだなぁって思ったんだ。
車と車の事故にしたってさ、お互いの車のうちどっちかだけでも
そこに居合わせるタイミングが1分、いや10秒でも違ってたら
その事故は起こらなかっただろうね。

ほんと、自分の命を握っているのは自分じゃないなって思う。
どんだけ気をつけてても、巻き込まれる事に対しては
気をつけるのには限界があるもん。
たくさんの、本当にたくさんの危険がある中で
神様がこの世界で起こる全ての事を、正確なタイミングで把握してて
神様の計画の中でうちらを守ってくれてる。秒単位で。もっと小さい単位かな。
本当に大事に守ってくれてる。瞳のように。
事故った人が守られてなかったのかって言われたら、それは違うと思うけど。
うちは今回みたいな小さい接触しか経験した事ないからわかんないけど、
でもその時も守られてたんだなぁって思うよ。
大きい事故した人はどう感じるんだろ。


主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。 (deut 32:10)

今日も命が与えられてる。
凄まじい計画の中で動かされ、守られてる。
全てのことが御手の中にあるんだよね。
たくさん危険も問題も悩みもあるけど、
完全に守ってくださる神様がいるから大丈夫。
今、守られてることすらも壮大な神様の計画の一部だとしたら。
感謝しなきゃ。マジで。
大切な人たちが守られてることも本当に感謝だよね。
そして今も生かされてることの意味を知りたいね。
神様は何のために今もうちを生かしているのか。

もーーー やっぱすごいや。神様。

っしゃ!今日もがんばろ!
今日も生かされてることが嬉しい!

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役に立ってますか?

はーいお久しぶりです!
今日色彩検定受けてきましたー。やっと一段落♪

この前ねー、祈ってたんだ。
「神様、うちとあなたとの間に何か隔たりがあるなら
そこに光を当ててくださって、取り扱ってください」
って。

で、この前また祈ってたんだ。
その中でうち「神様、うち役にたってますかね?」って言ったんだよね。
特に何も考えてなかったんだけど、いきなり、でも自然とその言葉が出てきたの。
その時自分の中で時が止まってさ。
「あ、ここに問題があった」って思ったんだよね。


唐突な始まりでごめん。笑


神様の役に立ちたいって思うこと。そのこと自体は全然悪くないんだ。
でもうちね、自分が神様に愛される基準を自分で作ってたんだ。
それが、「役に立つ」こと。
そしたら「役に立たなきゃ」って思うんだ。
で、「自分は役立たずなんだ」って思いも同時にあるんだよね。
自分でびっくりしたし、でもすごい納得した。
あーうちそう思ってたんだって。

だからずっと「ありのまま」っていう意味がどうしてもよくわかんなかった。
頭では知ってるけど、心で理解できなかった。
でもそういうもんなんだってただ信じてたけど、心からわかりたかったんだ。
ずっと、もっと役に立たなきゃ、このままでいるだけじゃ愛されないって思ってたんだ。


そこから、なんで自分はそう思うようになったのかとかいろいろ考えたんだけど
全部書いたら大変だから最終的に考えたこと書くね。ちょっと飛ぶけど。

日本(うちは日本しかよく知らないから)は大量消費社会だけど、
その社会の根底にある考え方をね、
自分の存在価値にまで当てはめてしまったら大変なことになると思ったよ。
そしてうちはそうしてしまってたんだって思った。
ちょっと抽象的だね。

具体的に言うとね、自分の代わりはいくらでもいて、
自分よりも社会的に価値があるものが現れたら
自分は忘れ去られて、捨てられていくってこと。

いろんな商品とか見ててもそうだけどさ、はじめはどんなにもてはやされても
より新しいもの、素敵なもの、便利なものがでてきたら
多くの人が先にあった商品よりもそっちを愛するようになるじゃん。
例えばゲームとかさ、今はPSPとかDSとかみんな持ってるみたいだけど、
過去にもいろいろあったよね。
ファミコン、スーファミ、ゲームボーイ、プレステ、セガサターン、64、ドリームキャスト・・・
(うちの幼馴染がゲーム機大好きで、何か出れば即仕入れてたんだ)
それらが出た当時は超話題になるけど、次のが出たら一気に価値下がるよね。

そしてついには、労働力すら大量消費される社会。
とりあえず、今何とかなれば誰でも良かったり、
かと思えば自分より価値ある人がいれば自分は見向きもされなかったり。

そういう社会の風潮と、うちが自分に対して思ってる
「もっと役に立たなきゃ、もっと誰かにとって必要とされなきゃ、もっと良くならなきゃ…」
って思いが、繋がってる気がしたんだよね。

もちろん社会だけのせいじゃないよ。家庭だったり自分自身の問題だったりする。
けど、すごいこの日本の社会について考えさせられたよ。


この大量消費社会ってさ、
「あなたの代わりはいくらでもいる、別にあなたじゃなくてもいい」
ってメッセージを密かに送り続けてると思ったんだよね。

でもみんな必要とされたいじゃん。誰かに自分の価値を認めてほしいじゃん。

うちはさ、理解できなくても「あなたを愛してる」ってメッセージを送り続けてくれる方がいたんだ。

でもそのメッセージを一度も聞くことなく
自分の価値を見出すことすら諦めてしまった人がどれだけいるだろう。
自分の価値を自分で肯定できなくなって神様の愛も知らなかったら… 辛いよね。

うちは昔、「あなたを愛してる」ってメッセージを聞いていながらも、
自分で世の中のメッセージを取り込んでた。
「役に立ち続けないと、捨てられる」って。それが今に影響してるんだろうね。


よくまとめられなくなっちゃったから戻るけど、笑
うちが神様との関係の中でも未だにそういう根を残しているんだってわかったよ。
ほんと何の前触れもなくいきなりきたからびっくりしたけど。

でもわかったところで、まだどうしていいかわからずにいるんだ。
もしかしたら簡単なことなのかもしれないけど、ちょっとよくわからない。
うちの基本的な考え方に根付いて、左右されてきたんだろうな。

だけど神様は光を当てておいて放置するような方じゃないから、
ふさわしい時に解決されるんだろうって期待して、あせらず待つことにしたよ。
古い価値観を捨てて、新しい価値観を選びとっていきたい。
今回の事を通して、神様何をしてくれるのか楽しみだよ。
役立たずの価値観を脱ぎ捨てたい。新しい価値観を教えてほしい。



まだまだ成長段階。うちの成長、これからが見どころです。

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誘惑しない。

最近、シェアしたいこといろいろあるんだけど、
ちょっと忙しくて書けずにいます。。

でもすごい嬉しかったっていうか感動したっていうか
励まされたことがあってさ。1つだけ手短に書いとくね。

一時期さ、クリスチャンブロガーたちがいっせいに性的な罪の告白とか
その罪に対する葛藤とかを書いてた時期あったじゃん?
Tuskの記事、エロに負けた自分から始まったのかな。
うちはそのころまだブログやってなかったんだけど、マジで感動したんだよね。
で、この前クリスチャンの男友達と話しててさ。
その男友達はブログやってないんだけど、その頃のみんなの告白を読んでね、
すげー影響受けて別のクリスチャンの男友達に本文を転送して、
そしたらそれを読んだその男友達にも火がついて
今2人で定期的に祈る時を持ってるんだって!
いやもうすごい感動した。
性的なことについてはあんまり話した事なかったんだけどさ、
てか今回もそこまで深く話してはいなかったんだけど
彼らなりに本気で戦ってるんだなって思って。
この時代に本気で性的な罪と向き合って戦ってる人、マジでカッコいいよね。

最近あんまりそういう話聞いてなかったけど、久しぶりに話して熱くさせられた。
自分自身が神様に罪を犯さないため、神の子としての品位を持つため、
っていう理由はもちろんあるけど
うちの大事な男友達が神様に従うのを応援する意味でも
まずは自分自身が気をつけようって改めて思わされたよ。

男性は視覚刺激に弱いってこと、知ってるから
まずは露出とかしないようにしなきゃね。
うちが具体的に気をつけてるのは、
*ちょっとかがんだくらいで簡単に胸が見える服は着ないとか
*下着が透けないようにするとか
*(座ってるときとか)背中見えないように気をつけるとか
だったんだけど、最近ちょっと気抜けてたかもって思った。
てかもともと「背中見える」のどこがいけないのか全然わかんないんだけど。笑
まぁそれ誘惑になるよって言われたことあるから気をつけるけどさ。。

実際露出する服装とかかわいいし、そういう服好きだから着てても楽しいんだけど
そうしない事がうちだけじゃなくて他の男友達の祝福にも繋がるなら
そこは我慢するよ。うん。
昔はひどかったんだけどね。ケツ下10cm弱くらいの制服でユース行ったりしてた。
「露出してなんぼ」とか思ってたし。いやすいませんでした。。
これからも気をつけます。特にクリスチャン男性に会うときには。
そしてさらに特に光の前では。

うちの見た目や振る舞い、言葉が少しでも誘惑になるようなら
思いっきり指摘して下さい。言ってやってください。
思いっきり言えない優しいあなたはやんわりと教えてください。
うちは自分自身を、誘惑の材料にしたくない。
うちが誰かを性的に刺激するなんてこと、本気でしたくない。
そんなことしなくても、うちは女性として価値があるって神様言ってくれてるから
自分自身の聖さを保つためにも。そして相手が聖さを保つためにも。

うん。がんばろう。
誘惑しない。ここ徹底してこ。

女性の皆さん、一緒にがんばりましょ?
サタンに自分の身体を誘惑の材料として利用されるなんて
悔しすぎるじゃん。
それで大事な男友達や彼氏がサタンの誘惑に身を任せることになるなんて
悲しすぎるじゃん。。

一緒にがんばる人大募集中☆笑

ほんとは「ブログがこんな形で用いられてたよ!」って
タスクとかツトムとかにっちとかにメールしようかと思ったんだけど
うち自身が熱くなっちゃったからここに書いちゃいました。笑


あらっ
あららら明日礼拝なのに。こんな時間!
手短にとか言っといて熱くなっちったよ。
寝よ。ではまたぁー♪゛


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