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無条件の存在価値。
「あなたの存在価値は、どこにありますか?」
って聞かれて、みんなは何て答えるだろう。
答えられる人は、どこにその存在価値を置いてるんだろう。
うちの周りには、自分の価値がわからなくて、
いろんなものに没頭する事で自分の価値を見出そうとする人達が少なくない。
自分の存在価値を見出す事を諦めてしまった人もたくさんいる。
みんな、自信がないんだ。だけど自信を持ちたいんだよ。
だから自分自身の価値を認めてあげるために、あるいは誰かに認めてもらうために、
いろんなことをする。
うちの周りは特に、自分の存在価値を恋愛に見出そうとする友達、多いんだよね。
うち実は「伝道」ってものが苦手で。ほんとに。
でも正しい価値観を知ってほしいから、友達と語るときとか
あからさまな伝道はしなくても、
聖書ベースの価値観を崩さないように努力してきたんだ。
その中でうちが特に強調してきたことの1つは、「無条件の存在価値」なんだよね。
もちろんこれは、うちが神様にその存在価値を無条件で認められてるから
ただ受け売りで流してるだけなんだけど。
でもね、伝道する勇気がないこんなうちの、精いっぱいの言葉で
友達が少しずつ変わってきたんだ。
どう変わってきたかって、
自分の存在価値を放棄するような行動を取らなくなってきたんだ。
そのことが本当に本当に嬉しかった。
好きで好きで、都合いいように使われてるってわかってたけど、
離れられなくて泥沼にいた友達。
最終的にその子にとって最悪な終わり方をされて、泣いてうちのところにきたんだ。
その時、うちは福音を語ってその子の目の前で一緒に祈ったわけじゃない。
ただ心の中で祈りながら、そんな扱いを受けるような存在じゃないってこと、
その子がどんな経験をしようと、その存在自体に価値があって、
誰が何と言おうと、うちはその存在価値を本気で認めるってことを伝えた。
そしてその傷を癒すために次の恋に急ぐんじゃなくて、
本気で愛し合える結婚相手を待ってほしいって伝えたんだ。
別の友達は、うちらクリスチャンの恋愛観に魅力を感じている子。
その子には、うちらが特別なんじゃなくて、
その子にも同じ祝福を受けるだけの価値があること、
自分のための恋愛をする男に遊ばれるような存在じゃないってこと、
そしてその子の「結婚の祝福」のために祈ってる事を伝えた。
はじめはやっぱりみんなうまくのみこめないみたいなんだけど、
友達が理解する・しないに関係なく
「あなたには無条件で価値がある」
「だから軽率な恋愛をやめて、本物の愛に生きてほしい」
って姿勢を崩さないできたんだ。
そしたらね、だんだんその友達や、その周りの友達が変わってきたの。
「彩たちの言ってる愛が本物だと思う。」 「終わりの見えてる恋愛はしない。」
「あせらないで待つわ。」 「遊びの恋愛はするつもりない。」
「祝福を祈ってくれる友達がいるんだから、
自分勝手に恋愛しようとする男に引っかかったりなんてしない。」
「結婚する人としか付き合わない。」
って・・・ ほんとに、恋愛に対する姿勢が変わってきたの。
恋に恋して、いつも新しい恋を求めてた子が、本物の愛を待つようになったんだよ。
ノンクリが、祈られてる祝福を信じて、遊びの恋愛を遠ざけるようになったんだよ。
それがほんとにほんとにほんとに、嬉しかった。
特に「イエス様とか」「神様」って言葉を使って伝道したわけじゃないけど、
ただ真実を知ってほしくて、その高価な存在価値を認めてほしくて、
神様の愛と価値観を流したくて、そうやって関わってきたんだ。
ほら、全然大きなことしてないんだよ。
ただ、その友達はうちらの価値観が聖書・神様にあることを知ってて。
ほんと、それだけ。あとは神様が働いてくださってるだけのこと。
どんなに傷だらけでも、本当の愛を知らなくても
その人の価値を本気で認める人がいるっていう事実が、
その人を変えるんだ。
相変わらずうちには何もできないけど、
ただ言葉と行いをもって、大事な友達の存在価値を認めていきたい。
だって、考えてみたらさ、その子としては
自分の普通の友達が、本気で自分のことを大事に思ってて
自分に存在価値があるってことを面と向かって伝えてくる
って、すごい衝撃的なことじゃない。
今、友達にはうちらしか見えてないかもしれないけど、
他でもない神様がその友達の存在価値を認めてるんだってことを感じてほしい。
そのことで少しでも神様の愛が流せるなら、惜しまず伝えていきたい。
神様のことで伝えなきゃいけないこと、もっといっぱいあるけど
うちらの価値観が神様への信仰に立ってることを知った上で
その価値観を取り入れようとしてる時点でマジで大きな一歩だと思うし、ほんとに感謝。
その時伝えるべき事を伝えて、救いのために祈り続けていきたいな。
改めてそう思わされました。

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って聞かれて、みんなは何て答えるだろう。
答えられる人は、どこにその存在価値を置いてるんだろう。
うちの周りには、自分の価値がわからなくて、
いろんなものに没頭する事で自分の価値を見出そうとする人達が少なくない。
自分の存在価値を見出す事を諦めてしまった人もたくさんいる。
みんな、自信がないんだ。だけど自信を持ちたいんだよ。
だから自分自身の価値を認めてあげるために、あるいは誰かに認めてもらうために、
いろんなことをする。
うちの周りは特に、自分の存在価値を恋愛に見出そうとする友達、多いんだよね。
うち実は「伝道」ってものが苦手で。ほんとに。
でも正しい価値観を知ってほしいから、友達と語るときとか
あからさまな伝道はしなくても、
聖書ベースの価値観を崩さないように努力してきたんだ。
その中でうちが特に強調してきたことの1つは、「無条件の存在価値」なんだよね。
もちろんこれは、うちが神様にその存在価値を無条件で認められてるから
ただ受け売りで流してるだけなんだけど。
でもね、伝道する勇気がないこんなうちの、精いっぱいの言葉で
友達が少しずつ変わってきたんだ。
どう変わってきたかって、
自分の存在価値を放棄するような行動を取らなくなってきたんだ。
そのことが本当に本当に嬉しかった。
好きで好きで、都合いいように使われてるってわかってたけど、
離れられなくて泥沼にいた友達。
最終的にその子にとって最悪な終わり方をされて、泣いてうちのところにきたんだ。
その時、うちは福音を語ってその子の目の前で一緒に祈ったわけじゃない。
ただ心の中で祈りながら、そんな扱いを受けるような存在じゃないってこと、
その子がどんな経験をしようと、その存在自体に価値があって、
誰が何と言おうと、うちはその存在価値を本気で認めるってことを伝えた。
そしてその傷を癒すために次の恋に急ぐんじゃなくて、
本気で愛し合える結婚相手を待ってほしいって伝えたんだ。
別の友達は、うちらクリスチャンの恋愛観に魅力を感じている子。
その子には、うちらが特別なんじゃなくて、
その子にも同じ祝福を受けるだけの価値があること、
自分のための恋愛をする男に遊ばれるような存在じゃないってこと、
そしてその子の「結婚の祝福」のために祈ってる事を伝えた。
はじめはやっぱりみんなうまくのみこめないみたいなんだけど、
友達が理解する・しないに関係なく
「あなたには無条件で価値がある」
「だから軽率な恋愛をやめて、本物の愛に生きてほしい」
って姿勢を崩さないできたんだ。
そしたらね、だんだんその友達や、その周りの友達が変わってきたの。
「彩たちの言ってる愛が本物だと思う。」 「終わりの見えてる恋愛はしない。」
「あせらないで待つわ。」 「遊びの恋愛はするつもりない。」
「祝福を祈ってくれる友達がいるんだから、
自分勝手に恋愛しようとする男に引っかかったりなんてしない。」
「結婚する人としか付き合わない。」
って・・・ ほんとに、恋愛に対する姿勢が変わってきたの。
恋に恋して、いつも新しい恋を求めてた子が、本物の愛を待つようになったんだよ。
ノンクリが、祈られてる祝福を信じて、遊びの恋愛を遠ざけるようになったんだよ。
それがほんとにほんとにほんとに、嬉しかった。
特に「イエス様とか」「神様」って言葉を使って伝道したわけじゃないけど、
ただ真実を知ってほしくて、その高価な存在価値を認めてほしくて、
神様の愛と価値観を流したくて、そうやって関わってきたんだ。
ほら、全然大きなことしてないんだよ。
ただ、その友達はうちらの価値観が聖書・神様にあることを知ってて。
ほんと、それだけ。あとは神様が働いてくださってるだけのこと。
どんなに傷だらけでも、本当の愛を知らなくても
その人の価値を本気で認める人がいるっていう事実が、
その人を変えるんだ。
相変わらずうちには何もできないけど、
ただ言葉と行いをもって、大事な友達の存在価値を認めていきたい。
だって、考えてみたらさ、その子としては
自分の普通の友達が、本気で自分のことを大事に思ってて
自分に存在価値があるってことを面と向かって伝えてくる
って、すごい衝撃的なことじゃない。
今、友達にはうちらしか見えてないかもしれないけど、
他でもない神様がその友達の存在価値を認めてるんだってことを感じてほしい。
そのことで少しでも神様の愛が流せるなら、惜しまず伝えていきたい。
神様のことで伝えなきゃいけないこと、もっといっぱいあるけど
うちらの価値観が神様への信仰に立ってることを知った上で
その価値観を取り入れようとしてる時点でマジで大きな一歩だと思うし、ほんとに感謝。
その時伝えるべき事を伝えて、救いのために祈り続けていきたいな。
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信仰の原点。
明日(もう今日だけど)ユースのメッセージ。
もうずーーーっと、祈りながら何話そうって考えて考えて…
今日、スタバでやっと枠組みができました。
これまでも何回かメッセージしてきて、その度新しい発見とかひらめきとかあって、
何かちょっと感動するような…素敵なメッセージができてたの。今までね。
もちろんうちがすごいんじゃなくて、うちに働いた神様がすごいんだけど!
だから今回も、祈って備えて考えて…また何か一歩踏み込んだ発見とかして、
オシャレなメッセージつくらなきゃって思ってたんだよね。
でもいくら祈っても考えても聖書読み直しても「ピカーンっ!!」っていうのがなくて…
これじゃメッセージつくれないよ〜 ってなってたんだ。
そして気付いてしまった。
うちは肝心な原点を忘れていたんだ。
新しい発見ばかり求めて「何語って良いのかわからない〜」って思ってたけど、
でもそうじゃない。
ただ福音を語ればいいんだって。
うちはずっと
「福音をベースに、一歩先行った信仰生活のための良いメッセージを」
って思ってたんだけど
それに捉われすぎて、信仰の原点である「福音」の部分に目を留めてなかった。
イエス様の十字架によってもたらされた救い。罪からの解放と完全な赦し。
永遠の命。限りない愛と恵み。
もちろん信仰生活の中で日々成長して、時には一歩先行くことも必要だし
今まで気付かなかった事知れたら嬉しいんだ。
成長したって感じることもできるし。
でも成長ばかりを目指すあまりに、
肝心の福音がなおざりになってちゃいけないよね。
「神様のために」「福音を伝えるために」って言いながら
うちは福音を軽視してたんじゃないかなって思わされて、はっとした。
うちがしたいのは、クリスチャン用語を使った信仰自慢じゃない。
ただ神様の愛を伝えたいんだ。
十字架による救いを、愛するユースのみんなに受け取ってほしい。
十字架の死と復活の本当の意味を、マジでわかってほしい。
そしていつまでも、神様と一緒に生きてほしい。
ただ、福音を語ろう。
信仰の原点に戻ろう。
新しい発見なんてそんなに重要じゃないんだ。
重要なのは
しっかりとした土台の上に堅く立って、
すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、
信仰に踏みとどまる(コロサイ1:23)こと。
ここ、明日のメッセージ箇所です。
神様、大事な事気付かせてくれてありがとう。
信仰の原点に戻ること。これが今回の大きな発見でした。
ただ、まだこの福音の部分をどう語るか、そこが詰めれてないんだよねー。
そこの前後は大丈夫なんだけど。
んー。神様助けて。
語り方はよくわかんないけど、でも期待します。
大胆に信仰をもって語れますように!

ランキング参加して1週間くらいで、なんか急上昇中!?
すっごいびっくりしたけど嬉しいです♪
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もうずーーーっと、祈りながら何話そうって考えて考えて…
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これまでも何回かメッセージしてきて、その度新しい発見とかひらめきとかあって、
何かちょっと感動するような…素敵なメッセージができてたの。今までね。
もちろんうちがすごいんじゃなくて、うちに働いた神様がすごいんだけど!
だから今回も、祈って備えて考えて…また何か一歩踏み込んだ発見とかして、
オシャレなメッセージつくらなきゃって思ってたんだよね。
でもいくら祈っても考えても聖書読み直しても「ピカーンっ!!」っていうのがなくて…
これじゃメッセージつくれないよ〜 ってなってたんだ。
そして気付いてしまった。
うちは肝心な原点を忘れていたんだ。
新しい発見ばかり求めて「何語って良いのかわからない〜」って思ってたけど、
でもそうじゃない。
ただ福音を語ればいいんだって。
うちはずっと
「福音をベースに、一歩先行った信仰生活のための良いメッセージを」
って思ってたんだけど
それに捉われすぎて、信仰の原点である「福音」の部分に目を留めてなかった。
イエス様の十字架によってもたらされた救い。罪からの解放と完全な赦し。
永遠の命。限りない愛と恵み。
もちろん信仰生活の中で日々成長して、時には一歩先行くことも必要だし
今まで気付かなかった事知れたら嬉しいんだ。
成長したって感じることもできるし。
でも成長ばかりを目指すあまりに、
肝心の福音がなおざりになってちゃいけないよね。
「神様のために」「福音を伝えるために」って言いながら
うちは福音を軽視してたんじゃないかなって思わされて、はっとした。
うちがしたいのは、クリスチャン用語を使った信仰自慢じゃない。
ただ神様の愛を伝えたいんだ。
十字架による救いを、愛するユースのみんなに受け取ってほしい。
十字架の死と復活の本当の意味を、マジでわかってほしい。
そしていつまでも、神様と一緒に生きてほしい。
ただ、福音を語ろう。
信仰の原点に戻ろう。
新しい発見なんてそんなに重要じゃないんだ。
重要なのは
しっかりとした土台の上に堅く立って、
すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、
信仰に踏みとどまる(コロサイ1:23)こと。
ここ、明日のメッセージ箇所です。
神様、大事な事気付かせてくれてありがとう。
信仰の原点に戻ること。これが今回の大きな発見でした。
ただ、まだこの福音の部分をどう語るか、そこが詰めれてないんだよねー。
そこの前後は大丈夫なんだけど。
んー。神様助けて。
語り方はよくわかんないけど、でも期待します。
大胆に信仰をもって語れますように!
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メッセージ作り。
今週の厚別ユースと来週末の七飯ユースでのメッセージ。
他にもいろいろやらなきゃいけないこといろいろあって大変だけど、
がんばってつくろうと思っています。
メッセージを準備する中で思うこと。
それは、
自分には本当に語る力がないってこと。
何を語って良いのかわからない。
どういう構成にしたら良いのか、
どこにポイントを置くべきなのか。
何を強調すべきで何を慎むべきか。
聖書を読んでも神様が何を語ろうとしているのかいまいち悟れなかったり。
テーマ説教では聖書箇所も決められないし。
ほんっとに、何もできないんだよ。
でも、何もできないから、神様はあえてうちを語り手として選んだんだよね。
だってうちには語る力がないのに、なぜかメッセージが語れて
しかもそれによって神様に触れられる人が起こされたとしたら、
それはもう神様の力でしかないよね。
何もないところから御業を行なわれる神様。
彩という器の、欠けを通して光を照らされる神様。すげーわ。
うちが自分の「できない」って欠けを隠してがんばって「良いメッセージ作り」に励むよりも、
高慢な態度捨ててその欠けを含めた自分丸ごと神様に差し出して
へりくだって神様の声に耳を傾けることを神様は望んでる。
だって神様うちができないこと知っててあえて選んだんだもんね。
そして今メッセージ準備している中で気付いた事。
それは、まず聞き手を愛することから始まるんじゃないかってこと。
良いメッセージを作ろうとする前にまず、神様の前にへりくだって自分を捧げる必要があること。
だからできる限り、聞き手1人1人のために祈って1人1人を愛すること、
感謝と悔い改めと応答の祈りをもって、神様の前に自分を整えることから始まるんじゃないかと思うんだ。
そして、「どうせ自分が語るメッセージだから」って、そこそこのメッセージ作りを目指すんじゃなく、
召されたからには期待して祈って最高のメッセージ作りを目指すこと!!
もちろんそれは神様のためにね。
うちの周りには若くして素敵過ぎるメッセンジャーがたくさんいるんだよ。
その人達みたいに語れないかもしれない。
面白くもできないと思うし、カリスマ性があるわけでもない。
聞き手の心を動かすメッセージなんて、とても語る自信はない。
でもそれでも自分を捧げて
自分の最善を尽くして神様のためにメッセージをする時、
そのメッセージ自体を明け渡して全てを委ねる時、
どんなに未熟なメッセージでも、面白くなくてもタジタジでも
そこに神様が働かれるよね。
そのメッセージは間違いなく最高のメッセージになると思う。
だって神様が働くんだよ。間違いないっしょ。
うちにしか語れないメッセージがある。
だから神様はあえてうちを選んだんだと思う。
たかがいつものユースメッセージ、じゃなくて
今回!神様が1人1人に語られることを期待して、
こんな自分を神様が大いに用いてくださる事を信じて
全力で最善を尽くしたい。気合い入れて謙遜な姿勢で祈っていきたい。
神様、語るべきことを教えてください。
1人1人を愛する愛を下さい。
あなたの前にへりくだって、自分を捧げることができますように。
最善を尽くしてあなたに仕えることができますように。
メッセージに働いてください。
聞き手1人1人に聖霊が直で語ってくださいますように。
・
・
・
あーめん。
他にもいろいろやらなきゃいけないこといろいろあって大変だけど、
がんばってつくろうと思っています。
メッセージを準備する中で思うこと。
それは、
自分には本当に語る力がないってこと。
何を語って良いのかわからない。
どういう構成にしたら良いのか、
どこにポイントを置くべきなのか。
何を強調すべきで何を慎むべきか。
聖書を読んでも神様が何を語ろうとしているのかいまいち悟れなかったり。
テーマ説教では聖書箇所も決められないし。
ほんっとに、何もできないんだよ。
でも、何もできないから、神様はあえてうちを語り手として選んだんだよね。
だってうちには語る力がないのに、なぜかメッセージが語れて
しかもそれによって神様に触れられる人が起こされたとしたら、
それはもう神様の力でしかないよね。
何もないところから御業を行なわれる神様。
彩という器の、欠けを通して光を照らされる神様。すげーわ。
うちが自分の「できない」って欠けを隠してがんばって「良いメッセージ作り」に励むよりも、
高慢な態度捨ててその欠けを含めた自分丸ごと神様に差し出して
へりくだって神様の声に耳を傾けることを神様は望んでる。
だって神様うちができないこと知っててあえて選んだんだもんね。
そして今メッセージ準備している中で気付いた事。
それは、まず聞き手を愛することから始まるんじゃないかってこと。
良いメッセージを作ろうとする前にまず、神様の前にへりくだって自分を捧げる必要があること。
だからできる限り、聞き手1人1人のために祈って1人1人を愛すること、
感謝と悔い改めと応答の祈りをもって、神様の前に自分を整えることから始まるんじゃないかと思うんだ。
そして、「どうせ自分が語るメッセージだから」って、そこそこのメッセージ作りを目指すんじゃなく、
召されたからには期待して祈って最高のメッセージ作りを目指すこと!!
もちろんそれは神様のためにね。
うちの周りには若くして素敵過ぎるメッセンジャーがたくさんいるんだよ。
その人達みたいに語れないかもしれない。
面白くもできないと思うし、カリスマ性があるわけでもない。
聞き手の心を動かすメッセージなんて、とても語る自信はない。
でもそれでも自分を捧げて
自分の最善を尽くして神様のためにメッセージをする時、
そのメッセージ自体を明け渡して全てを委ねる時、
どんなに未熟なメッセージでも、面白くなくてもタジタジでも
そこに神様が働かれるよね。
そのメッセージは間違いなく最高のメッセージになると思う。
だって神様が働くんだよ。間違いないっしょ。
うちにしか語れないメッセージがある。
だから神様はあえてうちを選んだんだと思う。
たかがいつものユースメッセージ、じゃなくて
今回!神様が1人1人に語られることを期待して、
こんな自分を神様が大いに用いてくださる事を信じて
全力で最善を尽くしたい。気合い入れて謙遜な姿勢で祈っていきたい。
神様、語るべきことを教えてください。
1人1人を愛する愛を下さい。
あなたの前にへりくだって、自分を捧げることができますように。
最善を尽くしてあなたに仕えることができますように。
メッセージに働いてください。
聞き手1人1人に聖霊が直で語ってくださいますように。
・
・
・
あーめん。
命という奇跡。
命ってさ、ほんと奇跡だと思うんだ。
うち2週間くらい前に肝炎検査受けに行ったの。
で1週間後に結果聞きに行ったら
まず「今日はいろいろお話しなくてはなりません」って言われて。笑
いろいろお話されたけどまぁ結論だけ言うと、微量だけど陽性反応が出たんだよね。
わかると思うけど、陰性だったら今自分はC型肝炎と関係ないってことだから陰性が望ましいんだ。
でもよくわかんないんだけどHCV抗体っていうのが見つかって、陽性反応が出て、
そしてすごく微量だから今発症しているのか、過去のものが残っているのかわからないと。
まぁとりあえずうちは今でも詳しい事よくわかんないんだけど、
もう1回採血して最終検査をしたんだよね。
これで陽性反応が出たらうちC型肝炎。陰性だったらセーフ。
そして結果聞きに行ったのが昨日。
結果…
陰性でした!!
なんかねなんかね、すごいことらしいよこれ。
うちはC型肝炎にかかった記憶はないんだけど、
どうやらやっぱり1987年に大量投与した血液製剤でHCVウィルスに感染したらしいの。
そしていつの間にか発症してて、既に治ってるんだってさ!
滅多にないんだってそれは。
普通は発症したら治療が必要だし、
肝硬変とか肝臓ガンとか引き起こして死に至ることもあるんだけど
でもうちはいつの間にか発症して、検査を受けてみる頃には治ってて。
で、この先もう一生かかることはないって。
神様、どんだけうちを生かしておきたいんだろう。
血液製剤使ったときも、ほぼ間違いなく死ぬって言うか、
医学的に前例がないくらいひどい状態だったの。
でも奇跡的に助かって、それは専門の医者から見ても完全に奇跡だったんだって。
うちはそのエピソードを聞いてたから、
高校とかの不安定で自分に全く自信がなく反抗ばっかしてた時期も
「よくわかんないけど自分は今生きてる意味がある」って思い続けることができたんだよね。
で、今回。うち実はちょっと死を覚悟してたんだよね。笑
でもあんまり話大きくしたりしたくなかったから、
陽性反応が出た事は2,3人にしか言ってなかったんだ。
もし追加の検査でも陽性反応出たらめっちゃ祈ってもらおうと思って、笑
親にも言ってなかった。
そしてさらにタイミング良くさ、帯状疱疹にかかったんだよね。
水ぼうそうと同じようなブツブツが神経に沿って帯みたいに出るの。
大きな怪我、老化、過労で免疫力が落ちたときに出るらしいんだけど、
それがうちどれにも当てはまらなくてさ、
そのどれにも当てはまらない時は大きな病気(ガンとか)を疑うんだって。
しかもお母さんの家系では帯状疱疹が出たら数年以内に死ぬ人がたくさんいてさ。
あ、うちそろそろ死ぬのか・・・ってちょっと思って。笑
(結果的にC型肝炎だったとしても帯状疱疹とは関係なかったらしいんだけど)
でも不思議と心配してなかったんだよね。
うちがまだ生きるべきならどんなに状態が悪くても生きるし、
死ぬ時はどんなに絶好調でもいきなり刺されて死ぬかもしれないし、
自分が心配したところで命はどうしようもないやって。
どうしようもできない命が今与えられてるってだけで感謝だなって思ったんだ。
たしかにやだけどね、死にたくないけどね。
やりたいこといっぱいあるし、
不安じゃなかったかって言ったら嘘。
だからちょっと開き直りつつもちょっと不安になりつつ結果待ってたんだ。
したら結果これでしょ。
まじ神様どんだけ。うちどんだけ奇跡的な命もらってんだよって思った。
もうこれは本気で生きるしかないよね。
神様がそんだけうちを生かしておきたいと思って、
どんな状況からもうちの命を守ってくれるなら
命がある限り本気で生きるよ。
たまに息切れするかもしれないけど、
でもその時できる精いっぱいで、本気で生きていきたい。
マジで自分捧げて生きていきたい。
今回のことも、20年くらい前のことも、周りの多くの人が一緒に喜んでくれて、ほんとうに感謝だった。
でも、ふと思ったんだ。
うちのことを愛して、命までも捨ててうちの罪や病を負ってくださったイエス様自身が、
誰よりもうちの存在を喜んでくれているんじゃないかって。
むしろ、霊的にもそうだけど、実際にうちが生きるために自分の命を捨ててくださったんじゃないかって。
昔奇跡的に助かったときも、今回のことも、うちがこの世界で生きる事を誰よりも喜んでくれているうちの創り主である神様。
この方についていく限り、うちは命の心配をしなくてもいいのかもしれない。
それってすごいことじゃない?
神様、命を与えてくれて、毎日守ってくれてありがとう。
うちの存在を喜んでくれてありがとう。
あなたがこの地上での私の人生に用意していることは何ですか?
うち2週間くらい前に肝炎検査受けに行ったの。
で1週間後に結果聞きに行ったら
まず「今日はいろいろお話しなくてはなりません」って言われて。笑
いろいろお話されたけどまぁ結論だけ言うと、微量だけど陽性反応が出たんだよね。
わかると思うけど、陰性だったら今自分はC型肝炎と関係ないってことだから陰性が望ましいんだ。
でもよくわかんないんだけどHCV抗体っていうのが見つかって、陽性反応が出て、
そしてすごく微量だから今発症しているのか、過去のものが残っているのかわからないと。
まぁとりあえずうちは今でも詳しい事よくわかんないんだけど、
もう1回採血して最終検査をしたんだよね。
これで陽性反応が出たらうちC型肝炎。陰性だったらセーフ。
そして結果聞きに行ったのが昨日。
結果…
陰性でした!!
なんかねなんかね、すごいことらしいよこれ。
うちはC型肝炎にかかった記憶はないんだけど、
どうやらやっぱり1987年に大量投与した血液製剤でHCVウィルスに感染したらしいの。
そしていつの間にか発症してて、既に治ってるんだってさ!
滅多にないんだってそれは。
普通は発症したら治療が必要だし、
肝硬変とか肝臓ガンとか引き起こして死に至ることもあるんだけど
でもうちはいつの間にか発症して、検査を受けてみる頃には治ってて。
で、この先もう一生かかることはないって。
神様、どんだけうちを生かしておきたいんだろう。
血液製剤使ったときも、ほぼ間違いなく死ぬって言うか、
医学的に前例がないくらいひどい状態だったの。
でも奇跡的に助かって、それは専門の医者から見ても完全に奇跡だったんだって。
うちはそのエピソードを聞いてたから、
高校とかの不安定で自分に全く自信がなく反抗ばっかしてた時期も
「よくわかんないけど自分は今生きてる意味がある」って思い続けることができたんだよね。
で、今回。うち実はちょっと死を覚悟してたんだよね。笑
でもあんまり話大きくしたりしたくなかったから、
陽性反応が出た事は2,3人にしか言ってなかったんだ。
もし追加の検査でも陽性反応出たらめっちゃ祈ってもらおうと思って、笑
親にも言ってなかった。
そしてさらにタイミング良くさ、帯状疱疹にかかったんだよね。
水ぼうそうと同じようなブツブツが神経に沿って帯みたいに出るの。
大きな怪我、老化、過労で免疫力が落ちたときに出るらしいんだけど、
それがうちどれにも当てはまらなくてさ、
そのどれにも当てはまらない時は大きな病気(ガンとか)を疑うんだって。
しかもお母さんの家系では帯状疱疹が出たら数年以内に死ぬ人がたくさんいてさ。
あ、うちそろそろ死ぬのか・・・ってちょっと思って。笑
(結果的にC型肝炎だったとしても帯状疱疹とは関係なかったらしいんだけど)
でも不思議と心配してなかったんだよね。
うちがまだ生きるべきならどんなに状態が悪くても生きるし、
死ぬ時はどんなに絶好調でもいきなり刺されて死ぬかもしれないし、
自分が心配したところで命はどうしようもないやって。
どうしようもできない命が今与えられてるってだけで感謝だなって思ったんだ。
たしかにやだけどね、死にたくないけどね。
やりたいこといっぱいあるし、
不安じゃなかったかって言ったら嘘。
だからちょっと開き直りつつもちょっと不安になりつつ結果待ってたんだ。
したら結果これでしょ。
まじ神様どんだけ。うちどんだけ奇跡的な命もらってんだよって思った。
もうこれは本気で生きるしかないよね。
神様がそんだけうちを生かしておきたいと思って、
どんな状況からもうちの命を守ってくれるなら
命がある限り本気で生きるよ。
たまに息切れするかもしれないけど、
でもその時できる精いっぱいで、本気で生きていきたい。
マジで自分捧げて生きていきたい。
今回のことも、20年くらい前のことも、周りの多くの人が一緒に喜んでくれて、ほんとうに感謝だった。
でも、ふと思ったんだ。
うちのことを愛して、命までも捨ててうちの罪や病を負ってくださったイエス様自身が、
誰よりもうちの存在を喜んでくれているんじゃないかって。
むしろ、霊的にもそうだけど、実際にうちが生きるために自分の命を捨ててくださったんじゃないかって。
昔奇跡的に助かったときも、今回のことも、うちがこの世界で生きる事を誰よりも喜んでくれているうちの創り主である神様。
この方についていく限り、うちは命の心配をしなくてもいいのかもしれない。
それってすごいことじゃない?
神様、命を与えてくれて、毎日守ってくれてありがとう。
うちの存在を喜んでくれてありがとう。
あなたがこの地上での私の人生に用意していることは何ですか?
土の器。
やっぱりまだ調子悪い状態が続いてたんだけど、
きのうまた神様とじっくり向き合うことができたんだ。
あんまり乗り気じゃなかったけど
とりあえず祈る姿勢に入ろうと思って、
この前のグロの賛美を録音したMDをかけて
気に入ってる賛美をかけた瞬間から、
涙が止まらなくなった。
「土の器」って曲。
土の器 欠けだらけの私
この欠けから あなたの光がこぼれ 輝く
土の器 ひびだらけの私
このひびから あなたの愛が溢れ 流れる
こんな私でさえも 主はそのままで愛してくださる
だから今 主の愛にこたえたい 私の全てで
用いてください 主よ
私にかできないことが 必ずあるから
なんでこんなに泣けるのか全然わからなかった。
けど、これが神様に対する自分の本音なんだ って思った。
神様、うちほんとにあなたの前に欠けだらけ。ひびだらけ。
全然あなたの前に堂々と出て行けるような人間じゃない。
何度神様に従いますって言ったって、
断ち切ったはずの罪を繰り返して
愛のない行動をし続けて 時には愛すべき人を傷つけて
自分が乗り気な時はハレルヤーって言ってるけど
そうじゃない時は祈る事すらできなくなる。
そんな時にも神様は「期待して祈りなさい」って言ってて、
自分もその時は受け取ってちゃんと祈ろう、向き合おうって思うのに
結局向き合わずに反抗ばかり。
本当にごめんなさい。うちには自分のことをどうすることもできない。
向き合うことすらできない。
でも、本当は神様が自分を通して働かれる事を願ってるんだ。
神様に用いられて、光を輝かせる者でありたい。愛を流していく者でありたいんだよ。
曲を聴いてて、ずっと頭の中に同じイメージがあった。
欠けだらけの、決して立派でもなく丈夫でもない、ただの薄汚れた土の器。
ひびだらけで、落としたら簡単に割れてしまいそうな、もろい土の器。
それは紛れもなく自分の姿だった。
本当に情けない、それが自分だなんて認めたくないような器だった。
だけど、
その土の器に光が差して、
欠けた部分の隙間から光が外部へこぼれて輝いている。
器の中に溢れるほど愛が注がれて、
ひびには愛が浸透して、そこから滴っている。
そしてその器を創った神様の手が、その器を大事そうに包んでいる。
欠けは、自分の弱い部分。足りない部分。
うちはそこを埋めたくて仕方ない。
だけどその欠けを通して、神様の光が周りを照らすんだ。
欠けがなくてきれいだから、丈夫だから、立派だから神様に用いてもらえるんじゃない。
弱さも神様に差し出した時に、神様が働いてその弱さを通して神様の栄光が表されるんだ。
ひびは、心にできた傷。
すごく痛くて、何かの拍子に亀裂は広がる。早くなくしてしまいたい。
だけどそのひびを通して、神様の愛が流れ出るんだ。
ひびが治ったら、もっと神様の愛を実践できるようになるわけじゃない。
今まで受けた傷も差し出した時に、そこにイエス様が触れて癒してくださって、
その愛を受けて自分も愛を流せるようになるんだ。
うちは本当はずっと、弱いままの、ありのままの姿を神様に差し出したかった。
でも、できれば完全な器になって、自信満々な状態でバリバリ用いられたかった。
クリスチャン歴が長くなるほど、目立った奉仕をするようになるほど、
いろんなところでクリスチャンと繋がって自分が知られるほど、
完全な器を目指すようになっちゃってた。
はじめは神様にバリバリ用いられたいって思いが強くても、
「もっと素敵な、立派なクリスチャンになりたい」って思いが強くなって
そのうち神様じゃなく自分の栄光を求めて成長しようとがんばってたんだ。
だから欠けがなくなるまで神様に用いられる事はできないって決め付けて
弱い自分では神様の前に行けないって、神様との関係を持つことを拒んでた。
それどころか自分で覆い隠して弱さがないかのように振る舞って、
高慢と完璧主義によって自分を守って 神様と人に対して偽った生き方をしていた。
傷が癒されるまでは愛を流していく事はできないって決め付けて
愛すべき人を愛さないどころか
「そこ傷ついてるんだからもっと大切に扱ってよ!」って態度で
振り回して、言葉と行いをもって傷つけてきた。
でもその欠けもひびも
自分で握り締めてなんとかしようとすることをやめて
ありのままで神様に明け渡した時、
それは神様に用いられる最高のツールになる。
欠けはなくならないけど、覆い隠すことをやめた瞬間から
そこから光がこぼれるようになる。
ひびもなくならないかもしれないけど、そこに触れられる愛を受け止めた瞬間から
そこは愛の通り道になる。
神様、本当にいいの?
うち欠けだらけ、ひびだらけ。
いつ壊れたっておかしくないし、
いつまでたっても立派な器にはなれそうもないよ。
あの人たちみたいにカッコいい生き方はできないかもしれないし
また裏切るかもしれないよ。
でも、
それでもあなたが愛してくださるなら
そんなに大事そうに包んでくださるなら
こんなうちでも期待して用いてくださるなら
うちはありのままの器をあなたに差し出します。
期待してあなたに従っていきます。
あなたの前に強がって偽る事をやめます。
もう1度、あなたの愛を受け取ります。
今までごめんなさい。
見捨てないでいてくれてありがとう。
劇的に変わったわけじゃなく、いきなり熱くなったわけでもないけど
何よりも知るべきことを知れたような、うちの人生のベースとすべきものを見つけたような、
そんな神様との時間でした。
もし良かったらお願いします。
↓↓↓↓↓
きのうまた神様とじっくり向き合うことができたんだ。
あんまり乗り気じゃなかったけど
とりあえず祈る姿勢に入ろうと思って、
この前のグロの賛美を録音したMDをかけて
気に入ってる賛美をかけた瞬間から、
涙が止まらなくなった。
「土の器」って曲。
土の器 欠けだらけの私
この欠けから あなたの光がこぼれ 輝く
土の器 ひびだらけの私
このひびから あなたの愛が溢れ 流れる
こんな私でさえも 主はそのままで愛してくださる
だから今 主の愛にこたえたい 私の全てで
用いてください 主よ
私にかできないことが 必ずあるから
なんでこんなに泣けるのか全然わからなかった。
けど、これが神様に対する自分の本音なんだ って思った。
神様、うちほんとにあなたの前に欠けだらけ。ひびだらけ。
全然あなたの前に堂々と出て行けるような人間じゃない。
何度神様に従いますって言ったって、
断ち切ったはずの罪を繰り返して
愛のない行動をし続けて 時には愛すべき人を傷つけて
自分が乗り気な時はハレルヤーって言ってるけど
そうじゃない時は祈る事すらできなくなる。
そんな時にも神様は「期待して祈りなさい」って言ってて、
自分もその時は受け取ってちゃんと祈ろう、向き合おうって思うのに
結局向き合わずに反抗ばかり。
本当にごめんなさい。うちには自分のことをどうすることもできない。
向き合うことすらできない。
でも、本当は神様が自分を通して働かれる事を願ってるんだ。
神様に用いられて、光を輝かせる者でありたい。愛を流していく者でありたいんだよ。
曲を聴いてて、ずっと頭の中に同じイメージがあった。
欠けだらけの、決して立派でもなく丈夫でもない、ただの薄汚れた土の器。
ひびだらけで、落としたら簡単に割れてしまいそうな、もろい土の器。
それは紛れもなく自分の姿だった。
本当に情けない、それが自分だなんて認めたくないような器だった。
だけど、
その土の器に光が差して、
欠けた部分の隙間から光が外部へこぼれて輝いている。
器の中に溢れるほど愛が注がれて、
ひびには愛が浸透して、そこから滴っている。
そしてその器を創った神様の手が、その器を大事そうに包んでいる。
欠けは、自分の弱い部分。足りない部分。
うちはそこを埋めたくて仕方ない。
だけどその欠けを通して、神様の光が周りを照らすんだ。
欠けがなくてきれいだから、丈夫だから、立派だから神様に用いてもらえるんじゃない。
弱さも神様に差し出した時に、神様が働いてその弱さを通して神様の栄光が表されるんだ。
ひびは、心にできた傷。
すごく痛くて、何かの拍子に亀裂は広がる。早くなくしてしまいたい。
だけどそのひびを通して、神様の愛が流れ出るんだ。
ひびが治ったら、もっと神様の愛を実践できるようになるわけじゃない。
今まで受けた傷も差し出した時に、そこにイエス様が触れて癒してくださって、
その愛を受けて自分も愛を流せるようになるんだ。
うちは本当はずっと、弱いままの、ありのままの姿を神様に差し出したかった。
でも、できれば完全な器になって、自信満々な状態でバリバリ用いられたかった。
クリスチャン歴が長くなるほど、目立った奉仕をするようになるほど、
いろんなところでクリスチャンと繋がって自分が知られるほど、
完全な器を目指すようになっちゃってた。
はじめは神様にバリバリ用いられたいって思いが強くても、
「もっと素敵な、立派なクリスチャンになりたい」って思いが強くなって
そのうち神様じゃなく自分の栄光を求めて成長しようとがんばってたんだ。
だから欠けがなくなるまで神様に用いられる事はできないって決め付けて
弱い自分では神様の前に行けないって、神様との関係を持つことを拒んでた。
それどころか自分で覆い隠して弱さがないかのように振る舞って、
高慢と完璧主義によって自分を守って 神様と人に対して偽った生き方をしていた。
傷が癒されるまでは愛を流していく事はできないって決め付けて
愛すべき人を愛さないどころか
「そこ傷ついてるんだからもっと大切に扱ってよ!」って態度で
振り回して、言葉と行いをもって傷つけてきた。
でもその欠けもひびも
自分で握り締めてなんとかしようとすることをやめて
ありのままで神様に明け渡した時、
それは神様に用いられる最高のツールになる。
欠けはなくならないけど、覆い隠すことをやめた瞬間から
そこから光がこぼれるようになる。
ひびもなくならないかもしれないけど、そこに触れられる愛を受け止めた瞬間から
そこは愛の通り道になる。
神様、本当にいいの?
うち欠けだらけ、ひびだらけ。
いつ壊れたっておかしくないし、
いつまでたっても立派な器にはなれそうもないよ。
あの人たちみたいにカッコいい生き方はできないかもしれないし
また裏切るかもしれないよ。
でも、
それでもあなたが愛してくださるなら
そんなに大事そうに包んでくださるなら
こんなうちでも期待して用いてくださるなら
うちはありのままの器をあなたに差し出します。
期待してあなたに従っていきます。
あなたの前に強がって偽る事をやめます。
もう1度、あなたの愛を受け取ります。
今までごめんなさい。
見捨てないでいてくれてありがとう。
劇的に変わったわけじゃなく、いきなり熱くなったわけでもないけど
何よりも知るべきことを知れたような、うちの人生のベースとすべきものを見つけたような、
そんな神様との時間でした。
もし良かったらお願いします。
↓↓↓↓↓
久々に向き合った。
今日、久しぶりに神様と向き合った。
ここ最近、心から祈ることや神様に語られることを拒んでいたんだ。
とにかく逃げたかった。
でもそんな生活ももう限界で。
本当は神様好きだし、
神様にある喜びとか救いとか
実際に体験して知ってるのに、
神様と向き合うのを怖がって
神様に背を向けて生きていること自体が苦痛だった。
何もかも楽しくなくなったし
何もできなくなった。
自分が何のために生きているのか全然わかんなくなった。
自分の中に起こるいろんな感情すら
わかんなくなっちゃった。
わかってるんだ。
神様との関係を拒んだ自分の人生がただ虚しくなることも、
今自分がそういう状態にあることも、
その救いすらも神様にあって
神様はうちが帰ってくるのを待ってることも。
そして自分がそこに帰ることができて、
その先には前と変わらない祝福があることも。
でもそうできなかったのは、
また裏切るのが怖かったからだったんだってわかった。
今まで何回も何回も神様の愛とか赦しとか癒しとかを体験して、神様に招かれて
「もっと神様を愛したい」「自分を捨ててついていきたい」「神様、あなたに従います」
って 何回もそういう決断をしてきた。
本当に本気で神様の前に進み出て、泣いて決意表明してきた。
でも毎回、裏切ってきたんだ。
そんな自分の癖にも気付いていたけど、
やっぱり毎回招かれるから毎回進み出て、
でも毎回裏切って…
そんな自分を自分で赦せなくなってた。
こんな自分は十字架の救いを受ける価値もないと思った。
もう神様の愛を受けることすら怖くて申し訳なくて、
ただ一生懸命逃げて語られることを拒んでた。
「神様のこと好きだし、いろいろ知ってる。
救いのこともわかってる。」
全然わかってなかった。
うちは神様の用意してる救いよりも、
自分の感情からくる考えを優先して選びとっていたんだ。
今もわかってるとは言えないよ。
でも今日昼間聖書読んで、
勇気出して向き合おうと思った瞬間から
涙が出て止まらなくなった。
「ずっと無視して向き合おうとしなくてごめんなさい」
「本当はちゃんと向き合いたかった」
「でもまた裏切るのがこわい…」
「でも神様、やっぱりもう無理だよ。助けて…うちにはもうどうしようもできない」…
ただこんなことを繰り返し祈って泣くしかなかった。
具体的なことは祈ってないけど、 でも久しぶりに向き合った実感があったよ。
いつの間にか寝ちゃってたけど、
起きたらちょっとすっきりしてた。
まだ完璧に回復したわけじゃないけど、
神様うちの常識を越えて働かれる方だから、
ちょっと期待してこれからも向き合っていこうかな。
もう自分には期待できない。
完璧に砕かれちゃったよ。
自分にはしっかりした信仰なんてないし、
神様に従い続ける力もない。
デボることも続けられないし
愛の実践もできない。信仰を保つことすらできないんだよ。
でもそれをさせるのが神様なら…
できるのかもしれない。
今までそうして支えてくれた神様の栄光を自分のものにして
自分にそんな力があるかのように振る舞って
そんな自分に期待することをやめるなら、
そしてただ純粋に神様に期待するなら
うちは変われるのかもしれない。
本気で神様を愛せるようになるのかもしれない。
人生をかけて従っていくことができるのかもしれない。
向き合い続けていこう。
今はまだ怖いけど、
たぶんここにしか答えはないよね。
いきなり大きな働きとかできないし、劇的な変化とかないかもしれないけど
とりあえず期待して向き合うことから始めてみよう。
もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、
もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、
あなたの義の住まいを回復される。
あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。
〔ヨブ8:5−7〕
ここ最近、心から祈ることや神様に語られることを拒んでいたんだ。
とにかく逃げたかった。
でもそんな生活ももう限界で。
本当は神様好きだし、
神様にある喜びとか救いとか
実際に体験して知ってるのに、
神様と向き合うのを怖がって
神様に背を向けて生きていること自体が苦痛だった。
何もかも楽しくなくなったし
何もできなくなった。
自分が何のために生きているのか全然わかんなくなった。
自分の中に起こるいろんな感情すら
わかんなくなっちゃった。
わかってるんだ。
神様との関係を拒んだ自分の人生がただ虚しくなることも、
今自分がそういう状態にあることも、
その救いすらも神様にあって
神様はうちが帰ってくるのを待ってることも。
そして自分がそこに帰ることができて、
その先には前と変わらない祝福があることも。
でもそうできなかったのは、
また裏切るのが怖かったからだったんだってわかった。
今まで何回も何回も神様の愛とか赦しとか癒しとかを体験して、神様に招かれて
「もっと神様を愛したい」「自分を捨ててついていきたい」「神様、あなたに従います」
って 何回もそういう決断をしてきた。
本当に本気で神様の前に進み出て、泣いて決意表明してきた。
でも毎回、裏切ってきたんだ。
そんな自分の癖にも気付いていたけど、
やっぱり毎回招かれるから毎回進み出て、
でも毎回裏切って…
そんな自分を自分で赦せなくなってた。
こんな自分は十字架の救いを受ける価値もないと思った。
もう神様の愛を受けることすら怖くて申し訳なくて、
ただ一生懸命逃げて語られることを拒んでた。
「神様のこと好きだし、いろいろ知ってる。
救いのこともわかってる。」
全然わかってなかった。
うちは神様の用意してる救いよりも、
自分の感情からくる考えを優先して選びとっていたんだ。
今もわかってるとは言えないよ。
でも今日昼間聖書読んで、
勇気出して向き合おうと思った瞬間から
涙が出て止まらなくなった。
「ずっと無視して向き合おうとしなくてごめんなさい」
「本当はちゃんと向き合いたかった」
「でもまた裏切るのがこわい…」
「でも神様、やっぱりもう無理だよ。助けて…うちにはもうどうしようもできない」…
ただこんなことを繰り返し祈って泣くしかなかった。
具体的なことは祈ってないけど、 でも久しぶりに向き合った実感があったよ。
いつの間にか寝ちゃってたけど、
起きたらちょっとすっきりしてた。
まだ完璧に回復したわけじゃないけど、
神様うちの常識を越えて働かれる方だから、
ちょっと期待してこれからも向き合っていこうかな。
もう自分には期待できない。
完璧に砕かれちゃったよ。
自分にはしっかりした信仰なんてないし、
神様に従い続ける力もない。
デボることも続けられないし
愛の実践もできない。信仰を保つことすらできないんだよ。
でもそれをさせるのが神様なら…
できるのかもしれない。
今までそうして支えてくれた神様の栄光を自分のものにして
自分にそんな力があるかのように振る舞って
そんな自分に期待することをやめるなら、
そしてただ純粋に神様に期待するなら
うちは変われるのかもしれない。
本気で神様を愛せるようになるのかもしれない。
人生をかけて従っていくことができるのかもしれない。
向き合い続けていこう。
今はまだ怖いけど、
たぶんここにしか答えはないよね。
いきなり大きな働きとかできないし、劇的な変化とかないかもしれないけど
とりあえず期待して向き合うことから始めてみよう。
もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、
もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、
あなたの義の住まいを回復される。
あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。
〔ヨブ8:5−7〕
逃げない。
ずっと逃げていた問題を
直視しなければならない時が
きたのかもしれない。
無視してた問題に光を照らされた感じ。
どう立ち向かっていいかわかんない。
でも神様はうちの問題を無視してない。
一生懸命無視してるのは自分だ。
答えと解決がイエス様にあるのは知ってるんだ。
あとは自分の選び取り。
もう逃げない。
神様、一緒にいて下さい。
直視しなければならない時が
きたのかもしれない。
無視してた問題に光を照らされた感じ。
どう立ち向かっていいかわかんない。
でも神様はうちの問題を無視してない。
一生懸命無視してるのは自分だ。
答えと解決がイエス様にあるのは知ってるんだ。
あとは自分の選び取り。
もう逃げない。
神様、一緒にいて下さい。
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