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科学で扱えないもの。
うちは今大学で心理学を学んでるんだ。
すーごい楽しい。あぁ、うちはこれがやりたかったんだっ!って感じ。
はじめ少し学問的な話になるんだけどね、
信仰っていうものを考える上で、うちにとってすごい大きな発見だったから
ちょっと書いとくね。
今日は熱くはじめちょっと難しく長いよ。
ややこしいかもだけど、なるべくわかりやすく書くから
よく考えながら一緒に理解してもらえたら嬉しいな。
まず科学っていうものについて。
今世界にある「学問」って、それぞれ全部科学の一分野なんだ。
国語も算数も法学も英語も物理も体育も歴史も医学も化学も哲学も倫理も心理学も
ぜーんぶ科学。
この世の中では、科学で扱える知識や理解については市民権を得られるんだ。
逆に言えば、科学で扱えない、証明できないものに関しては
「戯言(たわごと)」で終わってしまったりする。
だからいろんな考え方や物事を、事実として一般の人々に認めてもらうためには
それらを科学で証明しなければならないんだ。
じゃどうしたら科学で証明されるかというと、
その条件をすごい簡単にまとめると
「客観的な証拠があって、その証拠からの適切で論理的な考えがある」
なんだ。難しいよね。
つまりめちゃくちゃ噛み砕くと
客観的な証拠っていうのは、いつ誰がやっても同じようになる、目に見えるもの。
その証拠から、「これをこうしたらこうなったってことはこれはこういうものなんだ」
って考えて、その考え方がぶっ飛んでないって感じかな。
科学の立場に立ってる人、ここの部分で議論する気はないので
「ぬぅっ!?」ってなってもちょっと抑えといてください。
噛み砕きまくってることはわかってます。今は難しくしすぎたくないので。
たとえば。「氷は常温では溶けて液体になる」っていうのは
世間一般に認められてる事実。だよね。
疑う人はいないよね。
氷を冷凍庫から出して常温においといたら溶ける
っていうのはいつ誰がやっても同じ。
そして、このことから普通に考えて
「氷っていうものはある程度寒いところに置いておかないと溶けるんだ」
って結論になるでしょ。
でもこの考え方がちょっとぶっ飛んでたとして、
「氷さんは意思を持っていて、寒いところが好きなんだ。
だから寒いところから出されたらムカついて自暴自棄になって
液体になるという形で自分の怒りを表現するんだよ」
とか
「氷は常温に置くと不思議な力を寄せ付けるもので、
神秘的な力が働いてその形と硬さは変化しているように見えるが
実は人間の目にそう見えているだけで本当は変化していない」
とかだったらほんと「戯言」だよね。あぁーー!?って。
あと、同じ氷を同じような室温でおいといても、いつまでも溶けないことは50%くらいある、
とかだったら氷は常温で溶けるって考えはみんなに受け入れられないよね。
客観的な揺るがない証拠と、常識的な理解。
科学で認められるためにはそれが必要なんだ。
そして世の中で「事実」と認められるためには
科学に認められる必要がある場合が多いんだ。
はい、長くなったけどここから本題。
この科学で扱えないもの、けっこうあるんだよね。
占いや、心霊現象、おまじない、迷信、恋愛論、愛、
「必ず効く!」とか言ってたいてい効かないダイエット法。
そして、代表的なものは神の存在。
だって目に見えないからさ、科学的に認められるような
客観的な証拠がないんだよ。
だから当然、うちらのいう「神の御業」や奇跡、祈りが聞かれるということや
救われた喜び、聖書から語られるということ、時に神の御声を聞くということ…
科学ではとうてい扱えないんだ。
てことは、誰にも認められる事実とはなれなくて、信じない人にとっては「戯言」になる。
科学としての倫理学や哲学、心理学に当てはめられる
聖書や信仰の理解もあるんだけどさ、
どうしても科学には収まらない部分も多いんだ。
この科学の立場に土台を据えて、科学的に証明できるものだけ信じる
っていう人は、とにかく神様が神様であることや、
聖書が正しいということの客観的な証拠を求める。
そしてその証拠が不完全だと
「やっぱり戯言じゃないか」と言う。
そして科学しか信じないっていう人はめちゃめちゃ多いんだ。
でもね、科学が求めるような方法では、神様は証明できないんだよ。
これまでもたくさんの人たちが、神様を科学で証明しようとしてきたけど
できなかったんだ。
じゃ神様を信じるのは無意味?
ていうかさ、ここからはうちの考えだけど
科学で証明されるなら信じるって言うなら、それ信仰じゃねぇだろ。
確かに神様科学にも現れて下さるよ。たまに証明できることもある。
でも世界を創った神様が、人間が理解できるレベルの科学に
収まりきるわけないでしょ!!そんな狭い範囲に!
だって科学について一生懸命考えてる人間を創ったのだって神様だよ!
すいません。熱くなってます。
その人間に理解できる科学に収まらないからって
神様を侮ったり、聖書に書いてある言葉や真理、奇跡を信じない
確かにその気持ちはわかるよ。
だってこの世の中で常識とされてるほとんどのことは科学に基づいてるから。
でもJESUSが神の子だってこと、うちらの罪を背負って十字架にかかられたこと、
そして死んで3日目によみがえったってこと、
そのことを信じるうちらは完全に赦されてるってこと!
そして信じるなら救われるとかいう聖書の言葉や
神様からの個人的な語りかけ、病気や傷の癒し、奇跡…
科学で証明できるわけないでしょ!うちらの理解なんて超えてるんだから!
科学で証明できる程度の愛ならうちはこんなに感動してないよ。
聖書だって科学的に見たら矛盾してるとか所詮人が書いてるとかってなるけど
それでも生きて働く神様のことばだから、実際に聖霊が働いて人々を動かして
何千年も世界中の人に読まれてきてるんだとうちは思うよ。
こんなうちの考えも科学では証明できない。
だから戯言だと思う人がいてもおかしくない。
うちも今は科学の立場に立って心理学を勉強してるしめちゃめちゃ魅力感じてる。
心理学の枠に当てはめて考えるなら神様による守りや癒しは信じられないよ。
でもうちはこの理解を超えた神様の愛と御業によって生かされてるんだ。
うちが今まで聞いてきた神様からの語りかけや、心動かされた聖書の言葉、
うちの人生を変えた神様の御業、そして信じて受け取った救い…
どれもぜんぜん嘘じゃない。
たとえ万人に認められる形で証明されなくても、
この神様の愛に生かされてるっていうこと、
その喜び、平安、確信と希望があることはうちにとっての事実。
科学的に見て矛盾点があったとしても
うちはこれを捨てない。
だってうちにとっての正しさの基準は、科学じゃないから。
目に見えないものを信じるのが信仰だから。
科学もうちの理解も超えて大きなことをする神様を、うちは信じる。
その信仰を、神様は絶対裏切らないと思うんだ。

なんか熱くなってぶわーって書いちゃった。
ちょっとほかのブログとかも見て想いが高まってたんで。
後から冷静に見直してみて修正入れるとこあったらちょいちょい直してく〜
すーごい楽しい。あぁ、うちはこれがやりたかったんだっ!って感じ。
はじめ少し学問的な話になるんだけどね、
信仰っていうものを考える上で、うちにとってすごい大きな発見だったから
ちょっと書いとくね。
今日は熱くはじめちょっと難しく長いよ。
ややこしいかもだけど、なるべくわかりやすく書くから
よく考えながら一緒に理解してもらえたら嬉しいな。
まず科学っていうものについて。
今世界にある「学問」って、それぞれ全部科学の一分野なんだ。
国語も算数も法学も英語も物理も体育も歴史も医学も化学も哲学も倫理も心理学も
ぜーんぶ科学。
この世の中では、科学で扱える知識や理解については市民権を得られるんだ。
逆に言えば、科学で扱えない、証明できないものに関しては
「戯言(たわごと)」で終わってしまったりする。
だからいろんな考え方や物事を、事実として一般の人々に認めてもらうためには
それらを科学で証明しなければならないんだ。
じゃどうしたら科学で証明されるかというと、
その条件をすごい簡単にまとめると
「客観的な証拠があって、その証拠からの適切で論理的な考えがある」
なんだ。難しいよね。
つまりめちゃくちゃ噛み砕くと
客観的な証拠っていうのは、いつ誰がやっても同じようになる、目に見えるもの。
その証拠から、「これをこうしたらこうなったってことはこれはこういうものなんだ」
って考えて、その考え方がぶっ飛んでないって感じかな。
科学の立場に立ってる人、ここの部分で議論する気はないので
「ぬぅっ!?」ってなってもちょっと抑えといてください。
噛み砕きまくってることはわかってます。今は難しくしすぎたくないので。
たとえば。「氷は常温では溶けて液体になる」っていうのは
世間一般に認められてる事実。だよね。
疑う人はいないよね。
氷を冷凍庫から出して常温においといたら溶ける
っていうのはいつ誰がやっても同じ。
そして、このことから普通に考えて
「氷っていうものはある程度寒いところに置いておかないと溶けるんだ」
って結論になるでしょ。
でもこの考え方がちょっとぶっ飛んでたとして、
「氷さんは意思を持っていて、寒いところが好きなんだ。
だから寒いところから出されたらムカついて自暴自棄になって
液体になるという形で自分の怒りを表現するんだよ」
とか
「氷は常温に置くと不思議な力を寄せ付けるもので、
神秘的な力が働いてその形と硬さは変化しているように見えるが
実は人間の目にそう見えているだけで本当は変化していない」
とかだったらほんと「戯言」だよね。あぁーー!?って。
あと、同じ氷を同じような室温でおいといても、いつまでも溶けないことは50%くらいある、
とかだったら氷は常温で溶けるって考えはみんなに受け入れられないよね。
客観的な揺るがない証拠と、常識的な理解。
科学で認められるためにはそれが必要なんだ。
そして世の中で「事実」と認められるためには
科学に認められる必要がある場合が多いんだ。
はい、長くなったけどここから本題。
この科学で扱えないもの、けっこうあるんだよね。
占いや、心霊現象、おまじない、迷信、恋愛論、愛、
「必ず効く!」とか言ってたいてい効かないダイエット法。
そして、代表的なものは神の存在。
だって目に見えないからさ、科学的に認められるような
客観的な証拠がないんだよ。
だから当然、うちらのいう「神の御業」や奇跡、祈りが聞かれるということや
救われた喜び、聖書から語られるということ、時に神の御声を聞くということ…
科学ではとうてい扱えないんだ。
てことは、誰にも認められる事実とはなれなくて、信じない人にとっては「戯言」になる。
科学としての倫理学や哲学、心理学に当てはめられる
聖書や信仰の理解もあるんだけどさ、
どうしても科学には収まらない部分も多いんだ。
この科学の立場に土台を据えて、科学的に証明できるものだけ信じる
っていう人は、とにかく神様が神様であることや、
聖書が正しいということの客観的な証拠を求める。
そしてその証拠が不完全だと
「やっぱり戯言じゃないか」と言う。
そして科学しか信じないっていう人はめちゃめちゃ多いんだ。
でもね、科学が求めるような方法では、神様は証明できないんだよ。
これまでもたくさんの人たちが、神様を科学で証明しようとしてきたけど
できなかったんだ。
じゃ神様を信じるのは無意味?
ていうかさ、ここからはうちの考えだけど
科学で証明されるなら信じるって言うなら、それ信仰じゃねぇだろ。
確かに神様科学にも現れて下さるよ。たまに証明できることもある。
でも世界を創った神様が、人間が理解できるレベルの科学に
収まりきるわけないでしょ!!そんな狭い範囲に!
だって科学について一生懸命考えてる人間を創ったのだって神様だよ!
すいません。熱くなってます。
その人間に理解できる科学に収まらないからって
神様を侮ったり、聖書に書いてある言葉や真理、奇跡を信じない
確かにその気持ちはわかるよ。
だってこの世の中で常識とされてるほとんどのことは科学に基づいてるから。
でもJESUSが神の子だってこと、うちらの罪を背負って十字架にかかられたこと、
そして死んで3日目によみがえったってこと、
そのことを信じるうちらは完全に赦されてるってこと!
そして信じるなら救われるとかいう聖書の言葉や
神様からの個人的な語りかけ、病気や傷の癒し、奇跡…
科学で証明できるわけないでしょ!うちらの理解なんて超えてるんだから!
科学で証明できる程度の愛ならうちはこんなに感動してないよ。
聖書だって科学的に見たら矛盾してるとか所詮人が書いてるとかってなるけど
それでも生きて働く神様のことばだから、実際に聖霊が働いて人々を動かして
何千年も世界中の人に読まれてきてるんだとうちは思うよ。
こんなうちの考えも科学では証明できない。
だから戯言だと思う人がいてもおかしくない。
うちも今は科学の立場に立って心理学を勉強してるしめちゃめちゃ魅力感じてる。
心理学の枠に当てはめて考えるなら神様による守りや癒しは信じられないよ。
でもうちはこの理解を超えた神様の愛と御業によって生かされてるんだ。
うちが今まで聞いてきた神様からの語りかけや、心動かされた聖書の言葉、
うちの人生を変えた神様の御業、そして信じて受け取った救い…
どれもぜんぜん嘘じゃない。
たとえ万人に認められる形で証明されなくても、
この神様の愛に生かされてるっていうこと、
その喜び、平安、確信と希望があることはうちにとっての事実。
科学的に見て矛盾点があったとしても
うちはこれを捨てない。
だってうちにとっての正しさの基準は、科学じゃないから。
目に見えないものを信じるのが信仰だから。
科学もうちの理解も超えて大きなことをする神様を、うちは信じる。
その信仰を、神様は絶対裏切らないと思うんだ。
なんか熱くなってぶわーって書いちゃった。
ちょっとほかのブログとかも見て想いが高まってたんで。
後から冷静に見直してみて修正入れるとこあったらちょいちょい直してく〜
見えない手。
うちの今行ってる札幌の教会ね、めちゃめちゃ子供多いんだよね。
ほんと、1/3くらい子供!?ってくらい。
もー毎年順調に子供生まれてさ。
0〜5歳までは全年齢が揃ってて。
発達心理学の研究できちゃいそうだよ。笑
実際、学校で学んだ発達心理学の知識とか目で見て理解できて、
とっても楽しいです。
子供って、何事にも一生懸命で真っ直ぐで素直できかんぼで…
超〜かわいい!彼らの生きる姿勢への真剣さ、すごいと思うさ。
寝返りが打てるようになったり、ハイハイできるようになったり、
つかまり立ちしたり、つかまらなくても立てるようになったり…
それらができるようになると、何度も練習して自分のものにして、
また次の段階に進むんだ。
教会員みんなでその成長を見て一緒に喜べるのがほんとに嬉しい。
1人ね、今1歳かな?の男の子で、歩けるようになって
歩くのが楽しくてたまらなそうな、喜んで歩き回る子がいるの。
(てかその子めちゃめちゃかわいいんだよね。マジで。
今度写真撮って来るわ。オムツのCM出れる!)
うちの教会狭いから、空間に対して物の量が多くて
歩き回るには障害物が多くてちょっと危険なんだよね。
でも歩きたくて仕方ないから動く動く。
「あっ危ない!」ってこともしばしば。
でもね、ちゃんと親が見てるんだよね。(たまに見てないけど)
親は子供が危険物に気付かないこととか、
テーブルの角とかにぶつかったら痛いこととか、
それでも動きたい子供の気持ちとか、
今動き回ることが必要なことも わかってるんだよね。
だから、子供がテーブルの近くを歩く時はテーブルの角を手で押さえといたり
ドアがあるところでは閉まって挟まらないようにドアを抑えたり、
足場が不安定なところでは、転びそうになっても支えられるように
すぐ側で手をスタンバイさせながら遊ばせてたり、
階段から落ちて大怪我しないようにぴったりくっついてたり…
そうした守りの手があって、子供たちはのびのびと動きまわって
遊んで楽しんで走って跳んで転がって泣いて笑ってる。
でも子供たちは、その親の手には気付いてないんだ。
何が危険なのかもわからない子供たちは
「ぶつかったけど痛くなかった」「今日も怪我しないで遊べた」
って感じで日々過ごしてるかもしれないけど、
見えないところで守られてるからこそなんだよね。
そういう姿を見てて、「あぁうちも、こうやって守られて育ってきて
今も見えないところで守られてるんだな」って思ったんだ。
うちの親もそうやって危険から守ってくれてたと思う。
そして何より神様が、全てのことから今も守ってくれてるんだと思う。
うちが危険な目に遭わないように支えてくれるその「手」は
実際には見えないけど、
うちの視界の外にある危険物が当たらないように
それを抑える親の手のように
見えない手によって
今この瞬間も守られてるんだと思う。
しかも、絶対目を離さない。
うっかりミスで危険な目に遭わせてしまったりとかありえない。
もし怪我したりしても、癒してくれる。
うちが勝手に出会った危険や困難の責任までとってくれる。
その手を振り払って走ってって倒れて怪我して痛くても
泣いて帰ってきたら哀れんで介抱してくれる。
むしろ走りよってきてくれるのかな。
うちがその守りに気付かず、感謝もせず、
目の前のちょっとしたことでふてくされたり
神様無視し続けていても、
絶対にその守りの手を離さない。
うちのことが大事だから。
うちのことを愛してるから。
気付かれなくても、感謝されなくても
その手を離さない。
ただ、「感謝」しか言えないね。
まじで。
神様、いつも守っていてくれてありがとう。
その手は実際には見えないけど
今も完全に守られてるんだと思うから感謝します。
自分が守られてることにも気付かず
好き勝手な事ばっか言ってるけど
あなたに守られてるからこそ好き勝手な事も言えるんです。
でももう少しだけでも、より感謝していきたいと思いました。
これからもよろしくお願いします。
あなたの守りに感謝して歩めるようにしてください。
今日も、よろしくお願いします。
うちも、うちの友達、大切な人たちも、今日も守ってください。
ほんと、1/3くらい子供!?ってくらい。
もー毎年順調に子供生まれてさ。
0〜5歳までは全年齢が揃ってて。
発達心理学の研究できちゃいそうだよ。笑
実際、学校で学んだ発達心理学の知識とか目で見て理解できて、
とっても楽しいです。
子供って、何事にも一生懸命で真っ直ぐで素直できかんぼで…
超〜かわいい!彼らの生きる姿勢への真剣さ、すごいと思うさ。
寝返りが打てるようになったり、ハイハイできるようになったり、
つかまり立ちしたり、つかまらなくても立てるようになったり…
それらができるようになると、何度も練習して自分のものにして、
また次の段階に進むんだ。
教会員みんなでその成長を見て一緒に喜べるのがほんとに嬉しい。
1人ね、今1歳かな?の男の子で、歩けるようになって
歩くのが楽しくてたまらなそうな、喜んで歩き回る子がいるの。
(てかその子めちゃめちゃかわいいんだよね。マジで。
今度写真撮って来るわ。オムツのCM出れる!)
うちの教会狭いから、空間に対して物の量が多くて
歩き回るには障害物が多くてちょっと危険なんだよね。
でも歩きたくて仕方ないから動く動く。
「あっ危ない!」ってこともしばしば。
でもね、ちゃんと親が見てるんだよね。(たまに見てないけど)
親は子供が危険物に気付かないこととか、
テーブルの角とかにぶつかったら痛いこととか、
それでも動きたい子供の気持ちとか、
今動き回ることが必要なことも わかってるんだよね。
だから、子供がテーブルの近くを歩く時はテーブルの角を手で押さえといたり
ドアがあるところでは閉まって挟まらないようにドアを抑えたり、
足場が不安定なところでは、転びそうになっても支えられるように
すぐ側で手をスタンバイさせながら遊ばせてたり、
階段から落ちて大怪我しないようにぴったりくっついてたり…
そうした守りの手があって、子供たちはのびのびと動きまわって
遊んで楽しんで走って跳んで転がって泣いて笑ってる。
でも子供たちは、その親の手には気付いてないんだ。
何が危険なのかもわからない子供たちは
「ぶつかったけど痛くなかった」「今日も怪我しないで遊べた」
って感じで日々過ごしてるかもしれないけど、
見えないところで守られてるからこそなんだよね。
そういう姿を見てて、「あぁうちも、こうやって守られて育ってきて
今も見えないところで守られてるんだな」って思ったんだ。
うちの親もそうやって危険から守ってくれてたと思う。
そして何より神様が、全てのことから今も守ってくれてるんだと思う。
うちが危険な目に遭わないように支えてくれるその「手」は
実際には見えないけど、
うちの視界の外にある危険物が当たらないように
それを抑える親の手のように
見えない手によって
今この瞬間も守られてるんだと思う。
しかも、絶対目を離さない。
うっかりミスで危険な目に遭わせてしまったりとかありえない。
もし怪我したりしても、癒してくれる。
うちが勝手に出会った危険や困難の責任までとってくれる。
その手を振り払って走ってって倒れて怪我して痛くても
泣いて帰ってきたら哀れんで介抱してくれる。
むしろ走りよってきてくれるのかな。
うちがその守りに気付かず、感謝もせず、
目の前のちょっとしたことでふてくされたり
神様無視し続けていても、
絶対にその守りの手を離さない。
うちのことが大事だから。
うちのことを愛してるから。
気付かれなくても、感謝されなくても
その手を離さない。
ただ、「感謝」しか言えないね。
まじで。
神様、いつも守っていてくれてありがとう。
その手は実際には見えないけど
今も完全に守られてるんだと思うから感謝します。
自分が守られてることにも気付かず
好き勝手な事ばっか言ってるけど
あなたに守られてるからこそ好き勝手な事も言えるんです。
でももう少しだけでも、より感謝していきたいと思いました。
これからもよろしくお願いします。
あなたの守りに感謝して歩めるようにしてください。
今日も、よろしくお願いします。
うちも、うちの友達、大切な人たちも、今日も守ってください。
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