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土の器。
やっぱりまだ調子悪い状態が続いてたんだけど、
きのうまた神様とじっくり向き合うことができたんだ。
あんまり乗り気じゃなかったけど
とりあえず祈る姿勢に入ろうと思って、
この前のグロの賛美を録音したMDをかけて
気に入ってる賛美をかけた瞬間から、
涙が止まらなくなった。
「土の器」って曲。
土の器 欠けだらけの私
この欠けから あなたの光がこぼれ 輝く
土の器 ひびだらけの私
このひびから あなたの愛が溢れ 流れる
こんな私でさえも 主はそのままで愛してくださる
だから今 主の愛にこたえたい 私の全てで
用いてください 主よ
私にかできないことが 必ずあるから
なんでこんなに泣けるのか全然わからなかった。
けど、これが神様に対する自分の本音なんだ って思った。
神様、うちほんとにあなたの前に欠けだらけ。ひびだらけ。
全然あなたの前に堂々と出て行けるような人間じゃない。
何度神様に従いますって言ったって、
断ち切ったはずの罪を繰り返して
愛のない行動をし続けて 時には愛すべき人を傷つけて
自分が乗り気な時はハレルヤーって言ってるけど
そうじゃない時は祈る事すらできなくなる。
そんな時にも神様は「期待して祈りなさい」って言ってて、
自分もその時は受け取ってちゃんと祈ろう、向き合おうって思うのに
結局向き合わずに反抗ばかり。
本当にごめんなさい。うちには自分のことをどうすることもできない。
向き合うことすらできない。
でも、本当は神様が自分を通して働かれる事を願ってるんだ。
神様に用いられて、光を輝かせる者でありたい。愛を流していく者でありたいんだよ。
曲を聴いてて、ずっと頭の中に同じイメージがあった。
欠けだらけの、決して立派でもなく丈夫でもない、ただの薄汚れた土の器。
ひびだらけで、落としたら簡単に割れてしまいそうな、もろい土の器。
それは紛れもなく自分の姿だった。
本当に情けない、それが自分だなんて認めたくないような器だった。
だけど、
その土の器に光が差して、
欠けた部分の隙間から光が外部へこぼれて輝いている。
器の中に溢れるほど愛が注がれて、
ひびには愛が浸透して、そこから滴っている。
そしてその器を創った神様の手が、その器を大事そうに包んでいる。
欠けは、自分の弱い部分。足りない部分。
うちはそこを埋めたくて仕方ない。
だけどその欠けを通して、神様の光が周りを照らすんだ。
欠けがなくてきれいだから、丈夫だから、立派だから神様に用いてもらえるんじゃない。
弱さも神様に差し出した時に、神様が働いてその弱さを通して神様の栄光が表されるんだ。
ひびは、心にできた傷。
すごく痛くて、何かの拍子に亀裂は広がる。早くなくしてしまいたい。
だけどそのひびを通して、神様の愛が流れ出るんだ。
ひびが治ったら、もっと神様の愛を実践できるようになるわけじゃない。
今まで受けた傷も差し出した時に、そこにイエス様が触れて癒してくださって、
その愛を受けて自分も愛を流せるようになるんだ。
うちは本当はずっと、弱いままの、ありのままの姿を神様に差し出したかった。
でも、できれば完全な器になって、自信満々な状態でバリバリ用いられたかった。
クリスチャン歴が長くなるほど、目立った奉仕をするようになるほど、
いろんなところでクリスチャンと繋がって自分が知られるほど、
完全な器を目指すようになっちゃってた。
はじめは神様にバリバリ用いられたいって思いが強くても、
「もっと素敵な、立派なクリスチャンになりたい」って思いが強くなって
そのうち神様じゃなく自分の栄光を求めて成長しようとがんばってたんだ。
だから欠けがなくなるまで神様に用いられる事はできないって決め付けて
弱い自分では神様の前に行けないって、神様との関係を持つことを拒んでた。
それどころか自分で覆い隠して弱さがないかのように振る舞って、
高慢と完璧主義によって自分を守って 神様と人に対して偽った生き方をしていた。
傷が癒されるまでは愛を流していく事はできないって決め付けて
愛すべき人を愛さないどころか
「そこ傷ついてるんだからもっと大切に扱ってよ!」って態度で
振り回して、言葉と行いをもって傷つけてきた。
でもその欠けもひびも
自分で握り締めてなんとかしようとすることをやめて
ありのままで神様に明け渡した時、
それは神様に用いられる最高のツールになる。
欠けはなくならないけど、覆い隠すことをやめた瞬間から
そこから光がこぼれるようになる。
ひびもなくならないかもしれないけど、そこに触れられる愛を受け止めた瞬間から
そこは愛の通り道になる。
神様、本当にいいの?
うち欠けだらけ、ひびだらけ。
いつ壊れたっておかしくないし、
いつまでたっても立派な器にはなれそうもないよ。
あの人たちみたいにカッコいい生き方はできないかもしれないし
また裏切るかもしれないよ。
でも、
それでもあなたが愛してくださるなら
そんなに大事そうに包んでくださるなら
こんなうちでも期待して用いてくださるなら
うちはありのままの器をあなたに差し出します。
期待してあなたに従っていきます。
あなたの前に強がって偽る事をやめます。
もう1度、あなたの愛を受け取ります。
今までごめんなさい。
見捨てないでいてくれてありがとう。
劇的に変わったわけじゃなく、いきなり熱くなったわけでもないけど
何よりも知るべきことを知れたような、うちの人生のベースとすべきものを見つけたような、
そんな神様との時間でした。
もし良かったらお願いします。
↓↓↓↓↓
きのうまた神様とじっくり向き合うことができたんだ。
あんまり乗り気じゃなかったけど
とりあえず祈る姿勢に入ろうと思って、
この前のグロの賛美を録音したMDをかけて
気に入ってる賛美をかけた瞬間から、
涙が止まらなくなった。
「土の器」って曲。
土の器 欠けだらけの私
この欠けから あなたの光がこぼれ 輝く
土の器 ひびだらけの私
このひびから あなたの愛が溢れ 流れる
こんな私でさえも 主はそのままで愛してくださる
だから今 主の愛にこたえたい 私の全てで
用いてください 主よ
私にかできないことが 必ずあるから
なんでこんなに泣けるのか全然わからなかった。
けど、これが神様に対する自分の本音なんだ って思った。
神様、うちほんとにあなたの前に欠けだらけ。ひびだらけ。
全然あなたの前に堂々と出て行けるような人間じゃない。
何度神様に従いますって言ったって、
断ち切ったはずの罪を繰り返して
愛のない行動をし続けて 時には愛すべき人を傷つけて
自分が乗り気な時はハレルヤーって言ってるけど
そうじゃない時は祈る事すらできなくなる。
そんな時にも神様は「期待して祈りなさい」って言ってて、
自分もその時は受け取ってちゃんと祈ろう、向き合おうって思うのに
結局向き合わずに反抗ばかり。
本当にごめんなさい。うちには自分のことをどうすることもできない。
向き合うことすらできない。
でも、本当は神様が自分を通して働かれる事を願ってるんだ。
神様に用いられて、光を輝かせる者でありたい。愛を流していく者でありたいんだよ。
曲を聴いてて、ずっと頭の中に同じイメージがあった。
欠けだらけの、決して立派でもなく丈夫でもない、ただの薄汚れた土の器。
ひびだらけで、落としたら簡単に割れてしまいそうな、もろい土の器。
それは紛れもなく自分の姿だった。
本当に情けない、それが自分だなんて認めたくないような器だった。
だけど、
その土の器に光が差して、
欠けた部分の隙間から光が外部へこぼれて輝いている。
器の中に溢れるほど愛が注がれて、
ひびには愛が浸透して、そこから滴っている。
そしてその器を創った神様の手が、その器を大事そうに包んでいる。
欠けは、自分の弱い部分。足りない部分。
うちはそこを埋めたくて仕方ない。
だけどその欠けを通して、神様の光が周りを照らすんだ。
欠けがなくてきれいだから、丈夫だから、立派だから神様に用いてもらえるんじゃない。
弱さも神様に差し出した時に、神様が働いてその弱さを通して神様の栄光が表されるんだ。
ひびは、心にできた傷。
すごく痛くて、何かの拍子に亀裂は広がる。早くなくしてしまいたい。
だけどそのひびを通して、神様の愛が流れ出るんだ。
ひびが治ったら、もっと神様の愛を実践できるようになるわけじゃない。
今まで受けた傷も差し出した時に、そこにイエス様が触れて癒してくださって、
その愛を受けて自分も愛を流せるようになるんだ。
うちは本当はずっと、弱いままの、ありのままの姿を神様に差し出したかった。
でも、できれば完全な器になって、自信満々な状態でバリバリ用いられたかった。
クリスチャン歴が長くなるほど、目立った奉仕をするようになるほど、
いろんなところでクリスチャンと繋がって自分が知られるほど、
完全な器を目指すようになっちゃってた。
はじめは神様にバリバリ用いられたいって思いが強くても、
「もっと素敵な、立派なクリスチャンになりたい」って思いが強くなって
そのうち神様じゃなく自分の栄光を求めて成長しようとがんばってたんだ。
だから欠けがなくなるまで神様に用いられる事はできないって決め付けて
弱い自分では神様の前に行けないって、神様との関係を持つことを拒んでた。
それどころか自分で覆い隠して弱さがないかのように振る舞って、
高慢と完璧主義によって自分を守って 神様と人に対して偽った生き方をしていた。
傷が癒されるまでは愛を流していく事はできないって決め付けて
愛すべき人を愛さないどころか
「そこ傷ついてるんだからもっと大切に扱ってよ!」って態度で
振り回して、言葉と行いをもって傷つけてきた。
でもその欠けもひびも
自分で握り締めてなんとかしようとすることをやめて
ありのままで神様に明け渡した時、
それは神様に用いられる最高のツールになる。
欠けはなくならないけど、覆い隠すことをやめた瞬間から
そこから光がこぼれるようになる。
ひびもなくならないかもしれないけど、そこに触れられる愛を受け止めた瞬間から
そこは愛の通り道になる。
神様、本当にいいの?
うち欠けだらけ、ひびだらけ。
いつ壊れたっておかしくないし、
いつまでたっても立派な器にはなれそうもないよ。
あの人たちみたいにカッコいい生き方はできないかもしれないし
また裏切るかもしれないよ。
でも、
それでもあなたが愛してくださるなら
そんなに大事そうに包んでくださるなら
こんなうちでも期待して用いてくださるなら
うちはありのままの器をあなたに差し出します。
期待してあなたに従っていきます。
あなたの前に強がって偽る事をやめます。
もう1度、あなたの愛を受け取ります。
今までごめんなさい。
見捨てないでいてくれてありがとう。
劇的に変わったわけじゃなく、いきなり熱くなったわけでもないけど
何よりも知るべきことを知れたような、うちの人生のベースとすべきものを見つけたような、
そんな神様との時間でした。
もし良かったらお願いします。
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